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まさに「原発震災」だ/「根拠なき自己過信」の果てに

 1997年以来「原発震災」の危険性を訴えてきた、神戸大学名誉教授/地震学の石橋克彦さんの論考/世界2011-5月号より冒頭部分の抜粋です。

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「軍国主義の時代」と「原発主義の時代」

 2008年11月の科学技術社会論学会年次大会のワークショップ「柏崎刈羽原子力発電所地震災害の政策的意味」の講演予稿の中で、私は次のような主旨を書いた。

「‥現代日本における原子力は、国策として莫大な人と金と組織が注ぎ込まれ、大多数の国民にとって絶対的な善である点において、敗戦前の帝国軍隊に似ている。その状況で、柏崎刈羽原発の地震災害は、大自然から発せられたポツダム宣言にも擬せられる。これを無視すれば、ヒロシマ•ナガサキに次ぐ第三の大量被爆である原発震災が近づくかもしれない。いっぽう、電力会社•政府•御用学者が大自然を客観的•真摯に見ようとせず、既定路線に固執して詭弁を弄し、マスメディアが無批判に「大本営発表」を報道し、芸能人が宣伝に動員され、国民のほとんどが原発は必要で安全と信じている現状は、アジア太平洋戦争中の狂気の日本と酷似している。‥早急に行うべきことは、前述の安全規制の欠陥を抜本的に改めたうえで既存原発の原発震災リスクを総点検し、リスクが高い順に段階的に閉鎖•縮小する実際的プログラムを考えることである」
 なお、ポツダム宣言と原爆投下の関係は単純ではないだろうが、ここでは「最後通牒」というほどの意味で使った。

 さて、いま言っても始まらないが、本当に、柏崎刈羽原発地震被災を受けとめて、日本は危険な原発の閉鎖に着手すべきだった。もし運転歴30年以上の原発を止めていれば、今年3月11日には福島第一原発の六基は動いていない(使用済核燃料貯蔵プールの問題はあるが)。

 全国各地の市民のなかには、原発が地震で大事故を起こすのではないかと不安になり、少し勉強してみたら不安が確信にに変わって、既存の原発の閉鎖を求めたり、新設計画に反対したりという活動に熱心に取り組んでいる人々が大勢いる。
 ところが日本社会は、彼らに「反原発」「原発反対派」というレッテルを貼って白眼視してきた。「反」という文字には負のイメージがつきまとい、頑な教条主義によって反対しているような印象を与える。それを狙って「反原発」と決めつける場合も多い。

 しかし、教条主義的なのはむしろ原発推進派「原発偏執派」といったほうがよい)のほうであろう。彼らはみずみずしい感性を失い、合理的思考を放棄して、地震列島における原発の危険性や、電力の使用と供給の多様な選択肢を考えずに原発にしがみついている。

 私は、原発震災が起こる前になんとかしてイメージを変えたいと思い、1945年の敗戦まで日本を暗く覆っていた「軍国主義の時代」になぞらえて「原発主義の時代」にいると言おうとしていたが、残念なことに、今回の事態をむかえてしまった。

 半藤一利氏の『昭和史 1926-1945』(平凡社)を読むと、日本がアジア太平洋戦争を引きおこして敗戦に突き進んでいった過程が、現在の日本の「原発と地震」の問題にあまりにも似ていることに驚かされる。「根拠のない自己過信」と「失敗したときの底の知れない無責任さ」によって節目節目の重要な局面で判断を誤り、「起きては困ることは起こらないことにする」意識と、失敗を率直に認めない態度によって、戦争も原発も、さらなる失敗を重ねた。そして、多くの国民を不幸と苦難の底に突き落とした(落としつつある)。


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